チャッペック作『ロボット』を読み終える

大学に来るとき、電車の中でチャッペック作『ロボット』の最後の部分を読んでいたために、駅を乗り過ごしてしまった。後楽園で降りるべきところを神保町まで行ってしまった。大学まで歩くと35分。昔は何度も歩いた。ついでだからとそこで降りて、古本屋街で店頭の古本のタイトルを斜め読みしながら、九段下まで行く。九段下から新宿線に乗るつもりが東西線に間違って乗った。また、戻って飯田橋で南北線に乗り、ようやく四谷までついた。その間に、ベンチに座ったりしているときに続きを読み、結局最後まで読んでしまった。
SF的な味わいはない。人間がロボットを生み出す。そのそロボットは、我々がイメージする機械的なロボットではなく、動物的、有機的組織を持つ、人造人間(アンドロイド)といったほうが良いものである。大量の生産されたロボットがて人間を滅亡に追い込む。それによって、ロボットも滅亡の危機に瀕するが、ロボットの中に新しいアダムとイブが生まれ、新しい種となっていく。SFよりももっと、薄気味悪さがそこに漂っている。
あまりに人に似過ぎたロボットが醸し出す薄気味悪さ。それは本質的な問題である。ヒューマノイドロボットは人間に近づこうとしているのか。それは許されない。ロボットはロボットらしい表現、コミュニケーションを持っていなければならない。あまり、この本に関係ないことなのだが。