あらゆる説明は、言い換えに過ぎない:「知っている」という現象(2)

ある対象に対する知識を持っているとは、ある対象を「説明できる」と言えるだろう。説明はある意味きりがない。

「私はなぜ失敗したのですか?」
「君には能力がなかったからだ」
「私にはどうして能力がないのですか?」
「必要な努力を怠ったからだ」
普通この辺りでやめるか・・・・・・
「必要な努力とはどれくらいの努力なのですか」
「結果、失敗しないような努力だ」
こうなると、一種のトートロジーである。

なんでもそうだと思うが、結局説明されるがわが「なるほど」と納得できるほどに、違った言い換えができることが知識の条件なのである。

「卵ってなんですか」
「にわとりが産むものだ」
ここで納得すれば終わりとなる。
「にわとりってなんですか」
「卵から生まれたものだ」

これもまた説明である。後の二つの文は、無意味なものではない。ただ、全体は、トートロジーと言われても仕方がない。